なるほど、藤田氏の言うとおりである。カメラに頼れば無意識のうちに風景を真剣に見つめなくなる。人生は日々、一期一会である。その心構えがしだいに薄れて、人生を漫然とした安心感だけでやり過ごしかねなくなる。私はいたく反省した。だが、こうした人間の易きにつく本性については、既にニ千年以上も前に荘子がちゃんと警告しているのである。彼はこう言っているのだ。機械アレバ必ズ機事アリ、機事アレバ必ズ機心アリ。すなわち、機械を使うと必ず機械に依存する仕事が増える。仕事が増えれば、いよいよ機械に頼らなければならなくなる。すると、やがて必ず機械に頼る心が生じ、それが健康な人生の営みを損ね、「道」からいよいよ遠のいてしまう、というのだ。
だからといって、私は機械を無用だの、悪だの、と言うっもりはない。それどころか、現代の生活に機械がどれほど貢献しているか、私たちが機械の恩恵をどれほどこうむっているか、私は身にしみて感じている。問題はどのように機械を使うか、いかにして機心を戒め、人間らしい充実感をもって生きることができるか、ということなのである。
私が今更のようにこんなことを反省するのも、実は二十世紀がまさしく「機械の世紀」であり、二十一世紀は更に「機械万能の世紀」になることが確実だからだ。そして機事はいよいよ増え、それとともに機心がますます増大してゆくことを憂える故である。複写機は大切な文章を書き写すという作業を無用なものにしてしまった。コンピューターは記憶の容量を一挙に拡大し、それを一枚のフロッピーに簡単に保存してくれるようになった。それは確かに偉大な技術の進歩である。
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