店と言っても、表に看板も掲げていない仕舞屋[1] ふうの造りである。ここの女将[2] と亡くなった人とが普通の親しさではなかったところから、父親はそれまでにも幾度かこの店に案内されていたが、水炊き[3] のよかった記憶がひさしに繋がって、無理を承知で頼んでみた。
ひとしきり[4] 思い出話に涙を拭い続けた女将は、こんな時ですから、材料も大っぴら[5] には手に入りませんし、板前[6] も兵隊[7] さんに取られてしまって、いつまで営業出来ますやら[8] と言いながら、それでも贅沢な食卓をととのえてくれた。父親はちょっと箸をつけただけでもっばら酒をふくみ、ひさしの食欲を満足そうにながめていた。
ひさしは、初めて会った女将の物言い[9] や仕種[10] を見て、他人の死をこんなにまでかなしむのは、きっと優しい人に違いないと思ったが、そのうちに、そのかなしみの一通りでない様子から、自分を可愛がってくれた人の今まで知らなかった一面を、それとなく知らされもした。
あの小父さんは、自分はさきにさようなら[11] したからいいようなものの、この女の人はこれからどうやって生きていくのだろう。今日という日に、大事な人のお葬式にも出られないで、同じ土地にひっそり[12] 動いている女の人を知ったことが、ひさしに、漠然[13] とながら人生の奥行き[14] のようなものを感じさせた。
玄関を出る時、女将は父親に、あまり遠くない時期にぜひもう一度おたずね下さいと言い、父親が女将に、あなたもどうぞ気を強く持って下さいと言っているのをひさしは聞いた。ひさしは、今自分がこの女の人のために出来るのは、心からお礼を言うことだけだと思ったので、父親のそばからただ一言、?ありがとうございました。?と丁寧に言って頭を深く下げた。
町中[15] の掘割[16] を、静かな音を立てて水の流れている町だった。あの世へ旅立った[17] ばかりの人が、今にも後から追って来そうなその掘割[18] のそばを、父親はもう二度と通ることもないだろうと思いながら、一歩[19] 一歩を踏みしめる[20] ように、黙って駅に向かっていた。
[1]仕舞屋【しもたや】
(1)〔商売をやめた家〕不再做买卖的人家,歇业的人家.
(2)〔民家〕不开店的一般住家.
[2]女将◎【じょしょう】
【名】
(1)女主人,女···柜。(料理屋·待合·旅館などの女主人。おかみ。にょしょう。)
(2)统帅军队的···性大将。(一軍を率いる女の大将。)" id="amw_comment_0"/>
[3]水炊き【みずたき】
〈料理〉鸡肉汆锅
[4]一頻り②【ひとしきり】
【副】
一阵,一会儿。··(副詞的に用いる)しばらくの間、盛んであるさま。ひとっきり。)
△雨が一頻り降る。/雨下了一会儿。
[5]大っぴら◎【おおっぴら】
【形動】
公然;公开
[6]板前◎【いたまえ】
【名】
(1)饭馆放案板的···方。厨房。(調理場のまな板を置く所。板場。調理場。調理台。)
△板前の···のみせどころ。/显示烹饪技术的地方。
(2)厨师长。(調理···の頭。〕
△板前の···のみせどころ。/显示烹饪技术的地方。
(3)厨师,红案。尤指日本菜的厨师。(料亭·旅館などの料理人。特に日本料···の料理人。いた。)
△板前の···のみせどころ。/显示烹饪技术的地方。
[7]兵隊◎【へいたい】
【名】
(1)士兵,军人。···軍人。)
△鉄砲をかついだ兵···が通る。/扛枪的士兵走过。
△兵隊になる。/参军。
△兵隊···がり。/军人出身;行伍出身。
△兵隊靴。/军鞋。
(2)军队。(軍隊。)
△兵隊ごっこ。/打仗游戏。
[8]やら①【やら】
【助】
(1)表示不确定的疑问···(物事について不確かな気持ちを抱いていることを表す。)
△だれやら笑っているぞ。/有人在笑呢。
△なにやら白い物が浮いている。/漂浮着一个白的东西。
△山田とやらいう人が訪··てきた。/有个叫什么山田的来找你。
△来るのやら来ないのやらはっきりしない。/来还是不来,不清楚。
(2)表示并存。(二つ以上の物事を並べて挙げ、どれと決めがたいことをいう語。)
△お花やらお茶やらを習う。/学习花道啦,茶道啦。
△熊やらりすやらいろんな動物が出てきた。/出来了熊啦,松鼠啦各种动物。
△嬉しいやら悲しいやらで複雑な気持ち。/悲喜交集心情复杂。
(3)表示不确定的推···。(推量。)
△どうしたらよ···のやら。/怎么才好呢。
△こ···から先どうなることやら。/今后将会怎么样呢。
[9]物言い③【ものいい】
【名】
(1)说话(的方式···,说法。措词。(物を言うこと。また、物の言い方。言葉遣い。)
(2)异议,··对意见。(異議を口に出すこと。特に相撲で、行司の勝負判定に、審判委員や控え力士が異議を申し入れること。)
(3)争论,争吵。(言い合い。口論。)
△物言いの種になる。/引起争吵的原因。
[10]仕種◎【しぐさ】
【名】
(1)动作;举止,态···。(ふるまい。態度。)
(2)(演员的)做派,做功,身段,表情。(映画や演劇で、俳優の演じる表情や動作。)
△仕種はうまいがせりふはなっていない。/身段(做派)很好,不过台词太糟了。
[11]さようなら④⑤【さようなら】
【感·接续】
(1)再见··再会。〔あいさつ。〕
△別れ··ときの挨拶(アイサツ)の言葉·さよなら·/分别时说的寒暄语。再见。
△みなさん,さようなら。/诸位,再见!
(2)告别,离开。〔わかれる。〕
△さようならをする。/告别。
△さようならとも言わずに立ち去る。/不告〔辞〕而别。
△あしたは卒業式でいよいよ学校ともさようならだ。/明天举行毕业典礼,就要离开学校啦。
[12]ひっそり③【ひっそり】
【副】
(1)偷偷地,悄悄地。(控えめに物事が行われる様。密かに。)
△町··ひっそりとしている/街上鸦雀无声。
△あたりはひっそりと静まり返っている/四周万籁俱寂。
(2)寂静,鸦雀无声『成』。(動くものが··く物音のしないさま。)
△町··ひっそりとしている/街上鸦雀无声。
△あたりはひっそりと静まり返っている/四周万籁俱寂。
[13]漠然◎【ばくぜん】
【形动】
含混,含糊;笼··(まとまりがない);暧昧(態度や意図が暧昧);模糊。(ぼやけている。)冷漠。
△漠然たる印象。/模糊的印象。
△漠然たる恐怖感。/莫名其妙的恐怖感。
△漠然とした話。/含糊话。
△彼の説明は漠然としすぎる。/他的说明太笼统。
△そのころのことは漠然として覚えていない。/那时候的事情模模糊糊记不清。
△自分の将来について漠然とした不安を感じる。/对自己的将来隐隐感到不安。
[14]奥行き◎【おくゆき】
【名】
(1)进深,纵深。···家屋や地所などの、表から奥までの距離。)
△間口4間奥行き3間の店。/门面二十四日尺(宽),进深十八日尺(长)的店铺。
△この家は奥行きが深い。/这个房子进深深。
△この土地は奥行きが40メートルある。/这块地纵深有四十米。
(2)深度。(知識····慮·人柄などの奥深さ。深み。)
△あの人の学問は間口が広いが奥行きがない。/他的学识博而不渊〔泛而不精〕。
[15]町中③【まちじゅう】
【名】
市内,街里。(··の中で人家·商店が立ち並んでいる所。)
△町中をぶらつく。/在街上溜达。
[16]掘割◎【ほりわり】
【名】
渠,壕沟,沟槽。··地面を掘って水をひいて、水路としたところ。沟渠。)
[17]旅立つ③【たびだつ】
【自动·一类】
(1)出发···起身,起〔启〕程。(旅に出発する。)
(2)赴。与世长辞。逝世。死亡···((比喩的に)死ぬ。)
△あ···世に旅立つ。/起程到另一个世界去。
△冥土に旅立つ。/赴黄泉。
[18]掘割◎【ほりわり】
【名】
渠,壕沟,沟槽。··地面を掘って水をひいて、水路としたところ。沟渠。)
[19]一歩①【いっぽ】
【名·自动·三类】
(1)一···,走一步。(ひと足。)
△一···も動くな。/一步也不准动。
(2)一步,一个阶段,稍许,一点儿。(ほ···の少しの程度。)
△歩一歩。···一步一步地(走向……)。
△10年前より一歩も出ていない。/和十年前相比毫无进步。
△一歩もゆずらない態度。/毫不让步的态度。
△一歩ゆずって…としても。/即使退一步……也……。
(3)向……进一步。(あゆみ。)
△民主政治への第一歩。/走向民主政治的第一步。
[20]踏み締める④【ふみしめる】
【他动·二类】
(1)用··踩。(力を入れてしっかり踏む。)
(2)踩结实。(踏んでかため··。踏みかためる。)
△雪を踏··しめて道を作る。/踩踏积雪,造出一条小路。