つまり、相手は自然の風物[1] であっても、あるいは芸術作品であっても構わないが、いずれにしても「美しさ」はその相手のほうにあって、我々は、何らかの手段でその「美しさ」を受け取る、ないしは感じ取るというわけである。
このように「美しさ」を本質的に対象そのものの持つ属性であるとする考え方は、はっきりそう意識されてはいないにしても、かなり広く一般に受け入れられていると言ってよい。
芥川龍之介[2] が小学生のころ、先生が教室で「美しいもの」の例を挙げなさいと言ったとき、少年龍之介が「雲」と答えて先生に叱られたという話を、以前どこかで読んだことがある。ほかの子供たちは、「花」とか、「富士山」とか答えたのに、龍之介が「雲」と言ったので、教室中が失笑[3] し、先生は、雲が美しいものだなどというのはおかしいと叱ったのである。このエピソードは、龍之介が子供のころからいかに鋭敏[4] な感受性[5] の持ち主であったかということを示すものとして、しばしば引き合いに出されるが、それと同時に、先生のほうが——それと他の生徒たちも——「美しさ」というものを「花」や「富士山」の中に内在しているある種の性質と考えていたことをも裏付けて[6] いる。つまり、ラジウムやウラニウムには放射能があるが、その辺の道端の石っころには、放射能がないというのと同じで、龍之介がたまたま、「美しさ」という放射能をもったものとして「雲」と言ったので、皆笑い出したのである。
しかし、「美しいものは雲。」と答えたときの少年の心の中に、確かにある種の実感があったに違いないことは、容易に想像される。我々は、魂が高揚[7] しているとき、例えば人を愛しているときには、空の雲にも涙を流すことがある。詩人というのは、人並み優れた鋭い感受性と柔軟[8] な魂の持ち主だから、普通の人が何とも感じないような平凡なものに、思いもかけず「美しさ」を見いだすということは、しばしばあるに違いない。だが、もしそうだとしたら、「美しさ」は、草花や山といった対象にあるのではなく、それを「美しい」と感じる人間の心のほうにあると言わなければならないのではないだろうか。つまり、放射能のようにあるものに属する性質というよりも一人一人の人間の心の中にふと灯った灯火のようなものではないだろうか。芥川龍之介は、「或旧友[9] へ送る手記[10] 」の中で、死を決意したときの自然の「美しさ」を、次のように書いている。
[1]風物①【ふうぶつ】
【名】
(1)风景,映入眼帘的风光或构成景观的一个个景物。(目に入る眺め。風景。またそれを作っている個々の風景。)
△田園の風物。/田园风景。
△自然の風物に親しむ。/欣赏自然风景。
△英国風物談。/英国风物谈。
[2]あくたがわ‐りゅうのすけ【芥川竜之介】‥ガハ‥
小説家?別号?我鬼?澄江堂主人?東京生れ?東大卒?夏目漱石門下?菊池寛?久米正雄らと第3次?第4次?新思潮?を刊行??鼻??芋粥?で注目された?大正文学の中心作家の一人?作?羅生門??地獄変??偸盗??河童??歯車??或阿呆の一生?など?自殺?(1892~1927)
[3]失笑◎【しっしょう】
【名·自サ】
失笑,不由得发笑。(おかしさをこらえることができず吹き出すこと。)
△失笑を買う。/被耻笑;遭人愚弄。
[4]鋭敏◎【えいびん】
【名】【形動】
灵敏,敏锐。( 感覚などの鋭いこと。)
△ 手先の感覚が鋭敏だ。/指尖感觉灵敏。
△ 鋭敏な頭の働き。/敏锐的才智。
△ 気候の変化に鋭敏な動物。/对气候变化敏感的动物。
[5]感受性◎【かんじゅせい】
【名】
感受性。(外界の刺激や印象を感じ取ることができる働き。)
△感受性の強い人。/感受性强的人。
[6]裏付ける④【うらづける】
【他动·二类】
证实,印证,(从旁)支持,证明,保证。(ある事が確かであることを証拠立てる。物事を確実なものとする。)
△事実や証拠に裏付けられている。/有根有据。
△事実が彼の言葉を裏付ける。/事实证实了他的话。
△これは彼の犯行を裏付ける動かぬ証拠だ。/这就是证明他犯罪的铁证。
[7]高揚◎【こうよう】
【名·自他动·三类】
发扬;提高;高涨。(精神や気分などが高まること。また、高めること。)
△愛国心の高揚。/爱国精神的大发扬。
△国威を高揚する。/提高国威。
[8]柔軟◎【じゅうなん】
【形动】
(1)柔软。(からだが柔らか。)
△からだの柔軟な人は運動がうまい。/身体柔软的人适合搞体育运动。
△柔軟性。/柔性。
△柔軟体操。/柔软体操。
(2)灵活。(かんがえが自由。)
△柔軟な態度。/灵活的态度。
[9]旧友◎【きゅうゆう】
【名】
旧友。老朋友。故知。(昔からの友だち。古い友だち。旧知。)
△旧友に再会する。/跟老友再会〔重逢〕。
[10]手記①②【しゅき】
【名】
(1)手记。备忘录。(自分で記すこと。また、そのもの。)
△獄中手記。/狱中手记。
(2)亲手记录。(体験したことなどを、みずから書き綴ったもの。)
△手記を残す。/留下亲手记录。