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上外《日语综合教程》第三册
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十五课不考( ̄▽ ̄")
第十五課 なぜ雨が降るのか
本文
失恋した女の子がアパードのドアを乱暴に開けて表に飛び出すと、外は激しい雨。少女はびしよ濡れになりながら、夜の道をどこまでも駆けていく。頰をぬらす雨、そして涙。あるいは、真夜中の洋館、その闇の中、突然起こる殺人の惨劇。その一瞬、稲妻が走り、激しい雷鳴が森く。閃光に浮かび上がる殺人者の緊迫した横顔。
こんな場面、テレビドラマや映画のワンシーンとしてよくあります。失恋した女の子のつらい悲しみや殺人の恐怖を演出した演劇上のテクニックなのでしよう。ごくごくありふれた場面です。でも、よく考えてみてください。不思議ではありませんか。失恋や殺人という出来事にまるで自然が呼応しているみたいです。少女の悲しみを、まるで自然がナ緒に悲しんで、雨を降らせているみたいです。実生活ではそんな都合のいい話、ありませんよね。あなたが失恋したからどいって、お訛え向きに雨が降ってくれるとは限りません。
こういうドラマの演出家は、悲しみという感情を表現するには、カラッと晴れているより、雨の場面のほうが情感がこもって盛り上がるし、殺人の恐怖には雷のような強烈な自然現象が似合うと考えるのでしよう。観ている私たち自身はどうでしよう。ドラマのストーリー展開のほうに気をとられていることが多いので、そんな演出、取り立てて気にしていないというのが普通ではないでしようか。
でもなぜこういう演出をすると盛り上がるのでしょう。よく考えてみると不可解です。この例には二つ、考えるポイントがありそうです。
1人間の出来事(及び心や内面や感情)に自然現象が呼応することがある。
2人間の出来事(及び心や内面や感情)を自然現象が補助的に説明する機能を持っている。
ドラマや演劇の世界はかなり頻繁にこういう演出を駆使し、まるで雨や雷が人間の内面世界や出来事に呼応したり、それらを説明したりできると考えているようです。1についていえば、人間の世界と自然の世界とが何か深い関係があるもののように扱っているとも感じられますし、2からは、実際に関係があるかどうかはともかくとしても、自然が人間の世界で起こっている事象を説明する象徴的な役割を担っていることが分かります。
上の例が示すのは、人間世界の出来事と自然との間には、(本気で信じるかどうかは別として)何かつながりや関係があるかも知れないという思考です。ここで、これを「交感」の思考と呼んでおきましょう。「交感」というのは、人間と自然の間に何らかの呼応関係が生じることを意味します。
おそらく私たちの文化の中には、雨や雷といった自然現象を、ある感情や気分や内面的,価値に対応させてとらえる文化的な型が暗黙のうちに存在していて、だから、ドラマの中でそういう演出がなされても違和感なく受け入れることができ、共感することさえできるのでしょうこれは長い歴史の中で培われてきた文化の型でもあると思います。
人はさまざまな自然現象に対して、「交感」的な関係を結んできたはずです。それを自然との対話と言ってみたり、コミュニケーションと言ってみたりすることもできます。人類はそもそも、宇宙の星々の動きを読み、天候を読み、動物の足跡から情報を読み取り、植物の盛衰から季節の変化を読み取り、自分の位置を知り、獲物や食料のありかを確認してきました。おそらく、人間はさまざまに自然と対話してきたのです。また、もう一つの対話もしてきました。自然界のさまざまな現象を、これまで見てきたように自分たちの心や気分や内面的価値の比喩や象徴と見ることです。これによって私たちは自らを知り、自らを表現してきたとも言えます。
(『自然を感じるこころ』野田研一筑摩書房2007年)