それは油気[1] のない髪をひっつめ[2] の銀杏返し[3] に結って[4] 、横なでの痕のある皸[5] だらけの両頬を気持の悪い程赤く火照らせた[6] 、如何にも田舎者らしい娘だった。しかも垢じみた萌黄色の毛糸[7] の襟巻[8] がだらりと垂れ下った膝の上には、大きな風呂敷包みがあった。その又包みを抱いた霜焼け[9] の手の中には、三等の赤切符が大事そうにしっかり握られていた。私はこの小娘の下品[10] な顔だち[11] を好まなかった。それから彼女の服装が不潔[12] なのもやはり不快だった。最後にその二等と三等との区別さえも弁えない[13] 愚鈍[14] な心が腹立たしかった。だから巻煙草に火をつけた私は、一つにはこの小娘の存在を忘れたいと云う心もちもあって、今度はポッケットの夕刊を漫然[15] と膝の上へひろげて見た。するとその時夕刊の紙面[16] に落ちていた外光[17] が、突然電燈の光に変って、刷の悪い何欄かの活字が意外なぐらい鮮やか[18] に私の眼の前へ浮んで来た。云うまでもなく汽車は今、横須賀線に多い隧道の最初のそれへはいったのである。
しかしその電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡しても、やはり私の憂鬱を慰むべく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切って[19] いた。講和[20] 問題、新婦新郎、涜職[21] 事件、死亡広告――私は隧道へはいった一瞬間、汽車の走っている方向が逆になったような錯覚を感じながら、それらの索漠[22] とした記事から記事へほとんど機械的に眼を通した。が、その間も勿論あの小娘が、あたかも卑俗[23] な現実を人間にしたような面持ちで、私の前に坐っている事を絶えず意識せずにはいられなかった。この隧道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、そうして又この平凡な記事に埋っている夕刊と、――これが象徴でなくて何であろう。不可解な、下等[24] な、退屈な人生の象徴でなくて何であろう。私は一切がくだらなくなって、読みかけた夕刊を抛り出すと、又窓枠に頭を靠せながら、死んだように眼をつぶって[25] 、うつらうつら[26] し始めた。
[1]油気◎【あぶらけ】
【名】
油气;油性;光泽;肥;胖
[2]引っ詰め【ひっつめ】
垂髻.
引っ詰め髪/梳在后面的发髻.
[3]銀杏返し【いちょうがえし】
银杏卷.
[4]結う◎①【ゆう】
【他动·一类】
(1)系,结,··扎。(糸状·ひも状の物で、くくったりして組み立てる。)
(2)梳扎(头发)。(髪をひ··で結んだりして形を整える。)
△髪を結う。/梳头;梳扎头发。
△島田に結う。/梳成“岛田”式发型。
[5]皸◎【あかぎれ】
【名】
皲裂。(寒さや労··のため、手足の皮膚が深くさけること。)
△足に皹が切れた。/脚裂口子了。
[6]火照る②【ほてる】
【自动·一类】
(脸或身体)感觉发烧,发热。(顔やからだが熱く感じる。)
△興奮と恥ずかしさでからだじゅうが火照った。/满怀着兴奋和羞愧,全身都发烫。
[7]毛糸◎【けいと】
【名】
毛线,绒线。(羊毛··の他の獣毛を紡いだ糸。)
△··糸で靴下を編む。/用毛线织袜子。
[8]襟巻【えりまき】
【名】
围巾。(寒さを防··ためや装飾として首、肩の回りに巻くものの総称。)
[9]霜焼け◎【しもやけ】
【名】
冻伤,植物遭霜打··色。(寒さのために皮膚の血管が麻痺し、赤紫色にはれたもの。凍瘡。霜腫れ)
△霜焼けの手。/冻伤的手。
[10]下品◎【げひん】
【名·形動】
卑鄙;粗野,粗俗;下流,下作,不雅。(言動や顔つき等に卑しい品性が感じられること。品が悪いさま。)
△下品なことばづかい/说话粗野。
△礼儀を心得ない下品な人···/不懂礼貌的粗野的人。
△食···方が下品だ/吃东西下作。
[11]顔だち◎【かおだち】
【名】
容貌,面庞,相貌··脸盘儿。(顔全体の形。顔のつくり。目鼻立ち。)
△端正な顔だち。/容貌端正。
[12]不潔◎【ふけつ】
【名·形动】
(1)不清洁,···洁净,不干净,肮脏。(清潔であることが期待されるべきものが汚れていて、それに接することがはばかられる様子だ。)
△不潔な食器。/不干净的餐具。
△不潔は病気のもと。/不清洁是生病的根源。
(2)不纯洁,秽亵。(汚らわ··くて、付き合いたくない様子。)
△不潔な行為。/不端庄(秽亵)的行为
[13]弁える④③【わきまえる】
【他动·二类】
辨别;··别;理解;明白。(物事の区別や善悪の区別をする。人としての道理を承知している。)
△ ことの善悪を弁えなければならない。/必须辨别事情的善恶。
△礼儀をわきまえる。/懂礼仪。
[14]愚鈍◎【ぐどん】
【名·形动】
愚蠢,迟钝。(頭の働きが悪く、することもまがぬけていること。のろま。ばか。)
△愚鈍な警察諸君、私を捕まえてみたまえ。/愚蠢的警察啊,来抓我看看呀。
[15]漫然◎【まんぜん】
【形动】
杂乱无章,胡乱··漫不经心,无意。(とりとめのないさま。ぼんやりとして心にとめないさま。)
△漫然と日を暮らす。/漫不经心的度日。
[16]紙面①【しめん】
【名】
(1)纸面,篇幅。(···の表面。)
△紙面の都合で割···する。/因篇幅关系而割爱。
△紙面を拡張する。/扩大版面〔篇幅〕。
(2)报纸上。(手紙。書面。新聞。)
△選挙に関する記事が紙面をにぎわしている。/报上登满了有关选举的消息。
[17]外光◎【がいこう】
【名】
户外的光线。(家··外の太陽の光。また、戸外から差し込む光。)
[18]鮮やか②【あざやか】
【形動】
(1)鲜明。色、···美而清晰。(際立ってくっきりと美しいさま。)
△色彩が鮮やかに見える。/彩色显得鲜明。
△鮮やかな景色。/漂亮的风景。
(2)巧妙···精湛。优美。(動作や技術が胸のすくほど、さえて見事なさま。)
△鮮やかな腕前。/熟练的技巧。
△鮮やかなプレー。/精湛的表演。
△鮮やかに答弁する。/巧妙地答辩。
△ひとつひとつの仕事を鮮やかにこなした。/样样事都做得干净利落。
[19]持ち切る③◎【もちきる】
【自五】
始终拿着不放;一直拿到底;始终保持同一状态;全部拿着;维持到底;支持到底
[20]講和①【こうわ】
【名·自动·三类】
媾和,议···,讲和。(戦争を終結し、平和を回復するための交戦国間の合意。媾和。)
△単独講和。/单独媾和。
△講和を申し出る。/请和。
△交戦国と講和する。/和交战国讲和。
△講和条約。/媾和条约。
△講和派。/主和派。
[21]涜職【とくしょく】
渎职.
涜職する官吏がふえる/贪污的官员增多.
△涜職罪/渎职罪; 贪污罪.
[22]索漠◎【さくばく】
【形动】
荒凉,寂寞,落··。(心を満たすものがなく、もの寂しく感じるさま。荒涼として気のめいるさま。)
△索漠たる風景。/落寞的风景。
[23]卑俗①【ひぞく】
【名·形动】
卑俗;下流。(下品でいやしいこと。)
△卑俗な趣味。/低俗兴趣。
[24]下等◎【かとう】
【名】【形动】
(1)(质量···低劣,下等,低级,次。(物の品質·程度や、品性が劣っていること。また、そのさま。低級。「―な品」·上等。)
(2)低等。(同種のものの中で下位の段階にあること。また、そのさ··。)
△下等な動物。/低等动··。
[25]瞑る③【つぶる】
【他动·一类】
闭眼。(目··閉じる。)
△目をつぶって知··ないふりをする。/闭上眼睛装不知道。
△現実に目を瞑る。/不面对(无视)现实。
△今しばらく目をつぶっていてください。そのうちに彼もわかってくれるでしょう。/请姑且假装不知道。他不久也会明白的。
[26]うつらうつら①【うつらうつら】
【副·自动·三类】
恍···,迷迷糊糊,昏昏欲睡。(しきりに眠けを催し、浅く眠ったり覚めたりするさま。うとうと。)