しかし汽車はその時分には、もう安々と隧道を辷りぬけ[1] て、枯草の山と山との間に挾まれた、或貧しい町はずれの踏切り[2] に通りかかっていた。踏切りの近くには、いずれも見すぼらしい藁屋根[3] や瓦屋根[4] がごみごみ[5] と狭苦しく[6] 建てこんで、踏切り番が振るのであろう、唯一旒のうす白い旗が懶げ[7] に暮色[8] を揺っていた。やっと隧道を出たと思う――その時その蕭索[9] とした踏切りの柵の向うに、私は頬の赤い三人の男の子が、目白押し[10] に並んで立っているのを見た。彼等は皆、この曇天[11] に押しすくめられたかと思う程、揃って背が低かった。そうして又この町はずれの陰惨[12] たる風物と同じような色の着物を着ていた。それが汽車の通るのを仰ぎ見ながら、一斉[13] に手を挙げるが早いか、いたいけ[14] な喉を高く反らせて[15] 、何とも意味の分らない喊声[16] を一生懸命に迸らせた[17] 。するとその瞬間である。窓から半身を乗り出して[18] いた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばら[19] と空から降って来た。私は思わず息を呑んだ。そうして刹那[20] に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先[21] へ赴こうとしている小娘は、その懐に蔵していた幾顆の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労[22] に報いたのである。
暮色[23] を帯びた町はずれの踏切りと、小鳥のように声を挙げた三人の子供たちと、そうしてその上に乱落する鮮な蜜柑の色と――すべては汽車の窓の外に、瞬く暇もなく通り過ぎた。が、私の心の上には、切ない程はっきりと、この光景[24] が焼きつけられた。そうしてそこから、或得体[25] の知れない朗らか[26] な心もちが湧き上って[27] 来るのを意識した。私は昂然[28] と頭を挙げて、まるで別人を見るようにあの小娘を注視した。小娘は何時かもう私の前の席に返って、相不変皸だらけの頬を萌黄色の毛糸の襟巻に埋めながら、大きな風呂敷包みを抱えた手に、しっかりと三等切符を握っている。…………
[1]すべ?る【滑る?辷る】
〔自五〕
①物の上をなめらかに移行する?物の間を滞りなく通る?源氏物語夕顔?馬より―?りおりて??狭衣物語4?御ぐし…取る手も―?るつやすぢの美しさなどの???スキーで雪山を―?る??戸がよく―?る?
②にじり移る?すわったまますって行く?
③静かに退出する?源氏物語玉鬘?御使にかづけたる物を?いとわびしく傍痛しとおぼして?御気色あしければ?―?りまかでぬ?
④足がなめらかに動いて止まらない?古今著聞集16?あわて惑ひて出づとて?其の管の小竹に―?りてまろびにけり???雪道で―?った?
⑤位を降りる?退位する?平家物語1?位を―?らせ給ひて新院とぞ申しける?
⑥生まれおちる?傾城禁短気?何処の牛の骨やらしれぬ女の腹から―?つた餓鬼を?
⑦手に取ろうとしたものがすり抜ける??手が―?って茶碗を落とす?
⑧思わず言う??口が―?って秘密を漏らす??筆が―?る?
⑨落第する??入試に―?った?
?すべったの転んだの
[2]ふみきり【踏切り】【踏切】[0]
(一)道路が汽車?電車の線路を横切る所?
(二)〔走り幅跳トビなどで〕?踏み切る(三)?こと?また?その場所?
?―板バン[0]?
(三)踏み越し?
(四)ふんぎり?
[かぞえ方](一)は一本
[3]藁屋根【わらやね】
茅草屋
[4]瓦屋根④【かわらやね】
【名】
瓦屋顶
△瓦で瓦屋根をふく。/用瓦盖瓦屋顶。
[5]ごみごみ①【ごみごみ】
【副】
满地垃圾,杂乱无··。(狭苦しく、雑然としてまとまりのない感じを与えるさま。)
△ごみごみした部屋。/杂乱的房间。
[6]狭苦しい⑤【せまくるしい】
【形】
非常狭窄,挤··难受。(周囲の空間に余裕がなくて、窮屈な感じがするさま。)
[7]物憂げ③【ものうげ】
【形動】
厌倦;无精打采
△物憂げに歩く/无精打采地走.
[8]暮色◎【ぼしょく】
【名】
暮色,傍晚的景色··(夕暮れの薄暗い色合い。暮れかかったようす。)
△暮色が迫る。/暮色降临。
[9]しょうさく【蕭索】セウサク[0]
―たる/―と ものさびしい様子?
[10]目白押し◎【めじろおし】
【名】
(1)拥挤,一个···着一个。(多くのものが隙間なく並ぶこと。)
△目白押しの群衆。/拥挤的人群。
(2)挤香油游戏。孩子们···成一排互相挤,被挤出队列外的排在队尾重新挤的游戏。(子供が一列に並んで押し合い、列外に押し出された者が列の端について押す遊び。)" id="amw_comment_0"/>
[11]曇天◎【どんてん】
【名】
阴天。(くもった··。くもりの天気。)
△曇天続··。/连阴天。
△曇天の停車場··、日の暮のようにうす暗い。/阴天的停车场,像日落时一样阴暗。
[12]陰惨◎【いんさん】
【形动】
阴惨,凄惨。(··くむごたらしい感じ。また、そのさま。)
△陰惨な事件。/恐怖事件;凄惨事件。
[13]一斉◎【いっせい】
【副】
一齐,同时,普遍··(いちどき。同時。等しいさま。平等。)
△一斉休暇戦術。/同时休假战术。
△一斉検挙。/一齐检举〔逮捕〕。
[14]いたいけ◎③【いたいけ】
【形动】
可爱',可怜,令···怜爱'。(幼くてかわいらしいさま。素朴なさま。また、子どもなどのいじらしいさま。)
△いたいけな少女。/可爱的少女。
[15]反らす②【そらす】
【他五】
(1)向后仰(身)···)。(からだを後ろの方へ弓なりに曲げる。)
△胸をそらして歩く。/挺着胸膛走路。
(2)弄弯。(まっすぐな物、平···な物を弓なりに曲げる。)
△···を反らして輪を作る。/把竹子弯过来做圈儿。
[16]喊声【かんせい】
喊声.
喊声をあげる/呐喊.
△ワッと喊声があがった/突然呐喊起来了.
[17]迸る④【ほとばしる】
【自动·一类】
迸出,···出,溅出。(中にたまっていた液状のものが内部の圧力に押されてひっきりなしに噴出する。)
△鮮血が迸る。/鲜血四溅··
[18]乗り出す③【のりだす】
【自动·他动·一类】
(1···乘……出去。(乗って出て行く。出帆する。)
(2)出头露面,登上……舞台。(登場する。)
△世の中に乗り出す。/在··会上初露头角。
△文壇に乗り··す。/登上文坛。
(3)积极从事;亲自出马。(進んで関係する。進んで事にあたる。みずから。)
△警察が乗り出す。/警察出面。
(4)挺出,探出。((身体を)前に進め出す···)
△身を乗り出す。/向前探身。
(5)开始乘〔骑〕。(乗ることを始める。乗り始める。)
△うちの子も三輪車に乗りだした。/我们孩子也骑起三轮自行车来了。
[19]ばらばら①【ばらばら】
【副】
(1)零乱。(一体···あるべきものが離れ離れになったり統一されていなかったりするさま。散らばるさま。)
△戦争で一家がばらばらに離散してしまった。/由于战争,全家失散在各处了。
△学生たちは卒業してばらばらになった。/学生们毕业后各自东西了。
△彼は組合がばらばらにならぬよう努力した。/他努力使工会不致涣散。
△行きはいっしょで,帰りはばらばらになった。/去是一道去的,回来是分头回来的。
△手足のばらばらになった死体。/被肢解(砍掉四肢)的尸体。
△機械をば···ばらに分解する。/把机器拆开。
△道具がばらばらに置いてある。/工具七零八落地搁着。
(2)哗啦哗啦;嗖嗖。(小石···大粒の雨など粒状のものが連続して強く打ち当たる音。また、そのさま。)
△大粒の雨がばらばらと降り出す。/大雨点吧嗒吧嗒地落下来。
△弾丸がばらば···飛んできた。/子弹嗖嗖地飞过来。
△豆がばらばらとこぼれる。/豆子哗啦哗啦地撒落。
[20]刹那①【せつな】
【名】
(一)刹那,(一)··间,顷刻(间)()。(きわめて短い時間。)
△刹那の楽しみ。/眼前一时的快乐。
△刹那的な生き方。/今日有酒今日醉的生活方式。
△ドアを開けた刹那。/开门的一刹那。
△刹那主義。/(只顾眼前快乐的)一时快乐主义;享乐主义。
[21]奉公先【ほうこうさき】
佣工的地方,雇主(家)(),东家.
[22]労②◎【いたつき】
【名】
(1)劳苦,辛劳。···心労。ほねおり。)
(2)功劳。(功労。てがら。)
(3)疾病。(病気。)" id="amw_comment_0"/>
[23]暮色◎【ぼしょく】
【名】
暮色,傍晚的景色··(夕暮れの薄暗い色合い。暮れかかったようす。)
△暮色が迫る。/暮色降临。
[24]光景◎【こうけい】
【名】
光景,景象。(様··、景色。)
△さんたんたる光··。/惨状。
△恐ろしい光景。··恐怖的情景。
△空から見た光··。/由空中望到的光景。
[25]得体◎【えたい】
【名】
本来面目。(真の姿··考え。本当のこと。正体。)
△得体のしれぬ人。/来路不明的人。
△得体のしれない病気。/莫名其妙的病。
△得体のしれないしろもの。/稀奇古怪的东西。
△魚だかなんだか得体がしれない。/似鱼非鱼,不伦不类。
[26]朗らか②【ほがらか】
【形动】
(1)〔性格〕明···;开朗;爽快。〔心情〕愉快,快活;舒畅。(心が晴れ晴れとしているさま)
△朗らかな人/性情开朗〔爽朗〕的人;性格爽快的人。
△朗らかに笑う/快··地笑。
△朗らかな顔/愉快的··色。
(2)晴朗。天空无云而晴好。(空··曇りなく晴れているさま)
△··らかな秋空/晴朗的秋空。
[27]湧き上る【わきのぼる】
涌出来
[28]昂然◎【こうぜん】
【形动】
昂然。(意気の··んなさま。自信に満ちて誇らしげなさま。)
△こうぜんと胸を張る。/昂首挺胸。
△こうぜんたる態度。/昂然的态度。