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ひとは食べずには生きていけない。そして食べるためには、食べるものを作らなければならない。狩猜民や採集民にしても、獲物や採集物を、調理もせずに食べるのはまれであろう。調理は、人間生活におけるもっとも基礎的な行動であることは疑いない。火がしばしば文明の象徴とされるのも、おそらくそういう理由からであろう。
が、この調理といういとなみに、奇妙なことが起こっている。独身の人たちにかぎらず、料理をしないひとが増えてきたというのは、正確な数字情報はもっていないけれども、コンビニエンス・ス卜アやデパートの地下の食料品売り場、あるいは夜の居酒屋などの風景を見るかぎり、どうもたしかな事実のようである。昼休みともなると、みずから調理したお弁当を開けるひとはさらに少なくなる。ほとんどのひとが社員食堂に行くか、弁当を買いに行く。パンやスナック菓子ですませるひとも少なくない。
他方で、テレビをつければ、朝から晚おそくまで、料理番組やグルメ番組がずらっと並んでいるワイドショーがめじろ押しの「主婦」の時間帯には、料理番組がもともと多い。が、最近は深夜十一時をまわってからの、それもたっぷり時間をとった番組が増えている。
料理のレシピを伝えるというより、あきらかにゲーム感覚のシヨ一といった感じである。それに、ふだんとても手に入らないような食材を使っている。っまり視聴者があとで作るであろうことは計算に入っていない。そしてそれで番組がなりたっているということだ。
作らないということは、食事の調理過程を外部に委託するということだ。調理を家の外に出すということ、そのことの意味は想像以上に大きいように思う。
たしかに、むかしは調理も公共の場で、たとえば露地の共同炊事場でおこなわれることが多かった。それは戦後の二十年くらいまではふっうの光景だった。その後料理の仕事は「マイホーム」に内部化されたのだが、現在ふたたびその過程が、わたしたちからは見えない場所に移動させられっっある。それはちょうど、かって排泄が野外や共同便所でなされ、汲み取りもわたしたちの面前でなされていたのに、下水道の完備とともに排泄物処理が見えない過程になったのと同じことである。
それとほぼ並行して、病人の世話が病院へと外部化された。出産や死という、人生でもっとものっびきならない瞬間も家庭の外へと去った。家で母親のうめき言を聴くことも、赤ちゃんの噴きだすような泣き声も聴くことはなくなってしまった。いや、じぶんの身体でさえ、もはやじぶんでコントロールできず、体調がすぐれないときには、すぐに医院にかけつけるしまつだ。自己治療、相互治療の能力はほぼ枯渴した。その点で、身体はもはやじぶんのものではない。
誕生や病いや死は、人間が有限でかつ無力な存在であることを思い知らされる出来事である。同じように排泄、じぶんがほかならぬ自然の一メンバーであることを思い知らされるいとなみである。そういう出来事、そういういとなみが、『戦後』という社会のなかで次々に外部化していった。そして家庭内にのこされたそういう種類の最後のいとなみが、謂理だった。
ひとは調理の過程で、じぶんが生きるために他のいのちを破壊せざるをえないということ、そのときその生き物は渾身の力をふりしぼって抗うということを、身をもって学んだ。そしてじぶんもまたそういう生き物の一つでしかないということも。そういう体験の場所がいまじわりじわり消えかけている。見えない場所に隠されつつある。このことがわたしたちの現実感党にあたえる影響は、けっして少なくないと思う。