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第二页有解说和日本语豆知识,不要错过哟^_^)y ——《新编日语阅读文选》第一册
《新编日语阅读文选》第一册
季林根 陆静华编
上海外语教育出版社
晚霞姐姐没做要求……
三浦哲郎
おふくろは、紙に何か文字を書くときはきまって鉛筆で書いていた。鉛筆以外の筆記用具————毛筆だとか、万年筆だとか、ペンだとかが、家になかったわけではない。けれどもおふくろはいつも鉛筆を使っていた。それも、手のひらのなかにすハぼり隠れてしまうほどにちびた鉛筆ばかりで、芯もまるくたったのを使っていた。
それでは書きにくいだろうから、少し削ってやろうかというと、いらないという。芯が尖っていると、いまにも折れそうな気が、して、思うように書けない。それに、書くといっても別に大したことを書くわけでもないのだから、放っていてくれとおふくろはいった。
実際、おふくろは鉛筆を使うといっても、大したことを書くわけではなかった。つまり、文章なんぞを書くわけではなかった。手紙だって文章だから、おふくろは手紙を書くわけでもなかった。私は、おふくろが誰かに手/|氏や葉書を書いているのをいちども見たことがなかった。それではなにを書くのかという―之、,れないためのちょっとしたメモのたぐいである。久しぶりに手紙をくれた人の住所とか、買い物の品目とか、漬物を漬け込む日程とか、そんなものを古封筒の裏や、新聞紙の切れ端や、剥いだ日めくりの余白などに書き留めていた。
おふくろは、明治の小学校を出ただけで、文字など書くのは苦手であった。たとえちょっとしたメモのようなものでも、それを書くときは難渋した。見ていると、まず鉛筆の尻で頭を搔く。また、ごしごしと書く。つかえる。今度は左右の腕をぽりほりと接く。
「なるほど、かいてるなあ。」といって冷やかすと、「黙ってなせ。」と、おふくろは怒る。司見いて見ようとすると、「駄目。」といって、子供のように両手で隠す。だから、私は、二十を過ぎるころまで、おふくろが書いた文字を見たことがなかった。自分のおふくろがどんな文字を書くのか知らなかった。
私は、郷里の高校を出ると、東京の大学に進学した。けれども、学資を貰っていた兄に不都合なことがあり、一年だけで中退して郷里に帰って、中学校の助教員をニ年勤めた。それから、また一年間、受験勉強をして、同じ大学へ入り直した。ちょうど最初の級友たちが卒業したあとへ、私はまた一年生として入学したわけである。
私は、安い学生寮に入っていた。寮生はおおむね貧乏で、みな郷里からの送金を待ちかねていた。郵便配達が門を入ってくると、どの部屋の窓も一斉に開いて、「俺、〇〇、きてない?」「XXある?」そういう声が飛び交った。私には、毎月二度に分けて、ぎりぎりの生活費が届いた。それにはいつも父の手紙が入っていた。父は若いころから商家の帳簿を付け馴れてい:て、達筆であった。文面も律儀そのもので、必ずどこかに浪費を戒める文句が入っていた。
ところが、あるとき、いつものようにして屆けられた書留の封筒を開けてみると、いつもより少し少ない金額の為替と一緒に、ついぞ見馴れない鉛筆書きの手紙が出てきた。
「前略。お元気でしか。父さんがとちぜん病気で倒れますたすけに、わたすが代わって手紙を書きまし。……」
手紙はそう書き出されていた。いうまでもなく、おふくろが自分で書いた手紙である。私は、おふくろは手紙など書けないと思っていたから、はらはらしながら読んでみた。父:^脳軟化症で倒れたときの様子が、こまごまと書かれていた。手紙の常識に因らずに、自分の見たままを残らず知らせようとする文章が期せずして迫力に富んだ描写になっていた。何事もまるで目に見えるように書かれていた。私は読み終わって驚いた。
おふくろの手紙は、田舎目葉かまる出しになっていスと、ろを除けば、まず、よい手紙だといってよかった。よく見ると鉛筆の文字には一つ一つに濃淡があり、芯を舐めながム一字々々力をこめて書いたことがわかった。これだけの手紙を書くの||裏に、おふくろは何日夜更かしをしただろうかと私は思った。鉛筆の芯で頭を搔いているおふくろが、目に浮かんた、。両腕を搔くほ。りぽりという音が耳の奥によみがえった。
あのときの、あのおふくろの手紙が忘れられない。
父はもうとっくに亡くなって、おふくろは今年八十四にかるが、いまでも時々郷里から給筆書きの手紙をよこす。相変わらず芯を紙めなからこしこし書いた手紙で、いまだに田舎言葉まる出しである。甚^5郷愁をそそる手紙だというほかはない。
「母」による
连图片都有!
因为好玩