2、確信を表す表現
確信を表す表現とは、強く確信していることを表す表現である。この種の表現には「に違いない」「はずだ」「に決まっている」「はずがない」「っこない』などがあげられる。
おそらく中国の「瀟湘八景」とか「西湖十景』などにならって、室町期か江戸時代にだれがいうともなく人のロにのぼるようになったものに違いない。(也许是糢仿中国的“潇湘八景”“西湖十景”,在室町时期或江户时代也不知出于何人之ロ,人们就这么说了起来。)
大洋を漂流する彼らが、ただひたすら求め続けるのは島影だった。そして波を避け島に上陸することのできる入り江だったはずである。(他们在大海上漂泊,苦苦寻找着岛屿的影子。而且寻找的一定是可以避开风浪上岛的峡湾。)
「誘拐」というのは、字を見てわかるように、「おいしいものをあげるからおいで」などと言って騙して、連れて行くことだ。相手はまず子供に決まっている。(“诱拐”这个词从字面就可以知道是说“给你好吃的,你来吧。”就这样把人骗走了。所以,对象不用说一定是孩子。)
普诵のサラリーマンがこんな直を持っているはず(わけ)がない。家族を養う普通のサラリーマンがこんな車を持っているはず(わけ)がない。家族を養うのにも精一杯で、そんな余裕がない。(普通的公司职员不可能有这么好的车.光养家糊口就已经很费劲了,根本没有这个经济实力。)
冗談じやないよ。こんな厚い本、一晩で読めっこない。(不是开玩笑吧。这么厚的书ー晚上根本就看不完。〕
まとめ
「はずだ」と「に違いない」は意味的にはよく似ているが、「はずだ」は論理や既存知識に基づいた確信を示すのが基本である。「に違いない」は直感的な確信も表すことができる。そのため[日曜だから先生は休みのはずなのに、研究室の明かりがついている』のような、思考の結果の確信と現実が食い違っている場合や、「信子さんは法学部出身だから、道理で法律に詳しいはずだ」のような、以前から知っていた事実や背景を踏まえた納得という場合には「はずだ」し力使えない。「彼を一目見て親切な人に違いないと思った」のような主観的な思い込みというニュアンスを帯びる場合には、「に違いない」を使うほうが適切である。また、「はずだ」は話しことばと書きことばの両方で使われるのに対して、「に違いない」は日常会話では使いにくく、「きっと?と思います」などの表現を用いる。
一方、「はずがない」と「わけがない」は、両者は多くの場合言い換え可能であるが、「はず」は論理的根拠に基づいているというニュアンスが強いので、特に根拠なくその事柄の実現を否定するような場合は「わけがない』が自然である。
「わけがない』と大変似た意味を表す表現に「っこない」がある。くだけた話し言葉でよく使われる。最後に「に相違ない」と「に決まっている」であるが、両者とも「に違いない」とほぼ同じ意味を表すが、前者はやや古めかしい書きことばで、硬い文章で使われるが、後者は話しことば的で、主に日常会話で使われる。
二 語や語句の構成
1.?あてる
「探し当てる?言い当てる?嗅ぎ当てる?推し当てる」など、探し見つけたり正しく推測したりする意味を表す。
書いてもらった地図を頼りに1時間もかけてやっと田中さんの家を探し当てた。(靠着给我画的地图,花了1个小时才找到了田中的家。)
母が買ってくれたお弁当には私が一番好きなうなぎの蒲焼があると嗅ぎ与てた。(我闻出来了,母亲给我买的盒饭里有我最喜欢的烤鳗鱼。)
五つの晳問の答えを全部うまく言い当てたので先生からご褒美をいただいた。15道题的答案我都说对了,因此得到了老师的奖励。〉
いろいろ話し合っているうちに彼女の本当の気持ちを探りあてた。(在交谈中我摸清了她的真实想法。)
また急に停電した。闇の中手さぐりで用意しておいた蝋燭を探り当て、火をつけた。(又突然停电了.我在黑暗中摸到了早就准备好的增烛,点了起来。)