六、ならぬ 非,不:墓
連語である。判断を表す助動詞「なり」の未然形に、否定を表す助動詞[ぬ」をつけたもので、「…ではない』の意味。
そんなわけで山崎正和氏は日本人を海洋民族海岸民族だと評している。(因为这个原因山崎正和没有把日本人称为海洋民族,而称之为海岸民族。)
あなたは記憶が間違っているだろう。あの川で釣ったのはふなならぬやまめに違いない。(是你记错了吧。在那条河里钓着的肯定不是鲫鱼是真鳟鱼。】
これは神ならぬ身の知る由もないことだ。もう真相の究明を止めなさい。(这件事只有天才晓得。不要再追究其真相了。)
長いこと苦楽を共にしたのはきみならぬ和子だ。和子こそ信用できる人だ。(长期以来和我同甘共苦的不是你是和子。和子才是我可以信赖的人.)
僕が大学時代に学習の場所としてよく利用したのは図書館ならぬカフェバーであった。(大学时代我经常利用的学习场所不是图书馆而是咖啡馆。)
七 ~にしく(名詞)はなし、莫过于、没有比
「しく」は「如く」「若く」とも書く。距離を隔てたものの後を追って対等に並ぶ意。類似的な表現には「及ぶ」「肩を並べる」「匹敵する」がある。「?にしくはない」は慣用的な言い方で、「?に及ぶものはない』「?に匹敵するものはない」意。「しく』は打消しを伴って用いられることが多い。
欲を出せばきりのない話だ。この島で結構。ここで安んじて暮らすにしくはない。(欲望是无止境的。这个岛不错,没有比安心在这儿生活更好的了。)
何度も聞くより、一度実際に自分の目で見る方がまさる。いわゆる「百聞は一見に如かず」だ。(自己看一遍胜过听千遍。所谓百闻不如ー见嘛。】
子供をひとりしか持っていない親にとっては子にしく宝はないから、何でも満足させてあげるのもむりはないだろう。(对于只有1个孩子的家长来说没有比孩子更宝贵的了,所以他们愿意满足孩子们的一切愿望。这种心情可以理解。〉
問題を解決する最もよい方法は軍隊を撤退するにしくはない。(解决问题的最好办法莫过于撤军。)
苦しみを終くすろものは洒にしくものはない。あなたはこんなに飲んでいるんだから何か悩みでもあるのだろう。(消愁,莫过于酒。你这样喝酒莫不是有什么忧愁吧。)
八 ~とはいえ 虽然……但是……
体言や文を受ける。結果が、前の事実から予想されることとちょっとくい違うという意味を表すときに使う表現である。「?とはいいながら」「?とはいうものの」「?とは言っても」に言い換えられる。書き言葉的。
近いとはいえ歩いて30分はたっぷりかかる。(说是很近,可走着去足足要花30分钟。)
古新聞とはいえ、使いようによっては、何かの役に立つだろう。(虽说是旧报纸,可使用得当不是还能起作用嘛。)
子供が生まれた喜びはたとえようもない。とはいえ,家族を養う責任もいっそう強く感じる。(孩子诞生的喜悦是无法形容的。但同时也感到养家糊口的责任更重了。)
こうした若い人たちのマナーは、外国からの影響があるとはいえ、何といっても日本社会の中で作られたものであるだけに、基本的には日本のシステムとの調和が見られるのである。虽说这些年轻人的礼仪受到外国的影响,但是不管怎么说这是在日本社会养成的礼仪,所以基本上还是和日本社会体系相和谐的。)
水野さんのご病名はさっき初めて知りました。こんな甘いもの、召し上がれないかもしれないというのに……買ってきてしまいました。知らなかったとはいえ、申し訳ありません。日持ちするお菓子です。お客さんのもてなしにでもお使いください。((水野先生)您的病我刚知道。我带了甜食来了,您大概不能吃的。虽说不知不为过,可还是要向您说声对不起。这点心能放些日子,您可以用它来招待客人。)
九?つつ一边…一边…;虽然,尽管
「つつ」は文語接続助詞で、動詞「ます』の連用形を受け、古文では「繰り返し?ては』の意が主である。さらに、「Aという状態においてBをする』、または「Aであるけれども、それに相反するBをする。』の意を表す。前者は「Aながらと置き換え可能であるけど、少し硬い表現になる。後者は「つっも」の言い方もあり、「も』のない用法より逆接の意味が強くなる。
さすが一芸に秀でた名人のことばである。これは将棋に限らず人生全般について言えることではないか。と、そう思い、わたしはこうした確信こそ、紛れもなく日本的な信条であることに気づいたのだった。(真不愧是个有ー技之长的名人说的话。这不仅仅限于象棋,不是也可以用来表示整个人生吗?我这么思考着、同时也发现这种坚信就是日本人特有的信条。)
オリンピックへの夢を抱き、彼女は一生懸命に練習をしている。(怀着对奥林匹克的憧憬,她拼命地练习着。)
彼の言い訳を信じつつも、疑いの気持ちも消えなかった。(我虽然相信了他的解释,但怀疑也并没有消失。)
新しい恋人と付き合いつつも、まだ前の彼女と未練がましく別れられずにいた。(他有了新的恋人,却仍然和以前的女朋友藕断丝连难以分手。)
人類学者の伝えるこの種の報告には、一つ一つわれわれの胸をうつものがある。われわれは、こうした「幸福な」社会に戻り得ないと知りつつ、憧れを抱くしかないかのようである。(人类学家的报告中有不少打动我们的地方。我们似乎只能是明知道不可能再回到这样的“幸福”社会中去,却仍然抱有憧憬。)