放牧代码和思想
专注自然语言处理、机器学习算法
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上外《日语综合教程》第五册 第三课   日常の思想

なるほど、藤田氏(ふじたし)の言(い)うとおりである。カメラ(かめら)に頼(たよ)れば無意識(むいしき)のうちに風景(ふうけい)を真剣(しんけん)に見(み)つめなくなる。人生(じんせい)は日々(ひび)、一期一会(いちごいちえ)である。その心構(こころがま)えがしだいに薄(うす)れて、人生(じんせい)を漫然(まんぜん)とした安心感(あんしんかん)だけでやり過(す)ごしかねなくなる。私(わたし)はいたく反省(はんせい)した。だが、こうした人間(にんげん)の易(やす)きにつく本性(ほんしょう)については、既(すで)にニ千年以上(せんねんいじょう)も前(まえ)に荘子(そうし)がちゃんと警告(けいこく)しているのである。彼(かれ)はこう言(い)っているのだ。機械(きかい)アレバ(あれば)必(ひつ)ズ(ず)機事(きこと)アリ(あり)、機事(きこと)アレバ(あれば)必(ひつ)ズ(ず)機心(きこころ)アリ(あり)。すなわち、機械(きかい)を使(つか)うと必(かなら)ず機械(きかい)に依存(いぞん)する仕事(しごと)が増(ふ)える。仕事(しごと)が増(ふ)えれば、いよいよ機械(きかい)に頼(たよ)らなければならなくなる。すると、やがて必(かなら)ず機械(きかい)に頼(たよ)る心(こころ)が生(しょう)じ、それが健康(けんこう)な人生(じんせい)の営(いとな)みを損(そこ)ね、「道(みち)」からいよいよ遠(とお)のいてしまう、というのだ。

だからといって、私(わたし)は機械(きかい)を無用(むよう)だの、悪(あく)だの、と言(い)うっもりはない。それどころか、現代(げんだい)の生活(せいかつ)に機械(きかい)がどれほど貢献(こうけん)しているか、私(わたし)たちが機械(きかい)の恩恵(おんけい)をどれほどこうむっているか、私(わたし)は身(み)にしみて感(かん)じている。問題(もんだい)はどのように機械(きかい)を使(つか)うか、いかにして機心(きこころ)を戒(いまし)め、人間(にんげん)らしい充実感(じゅうじつかん)をもって生(い)きることができるか、ということなのである。

私(わたし)が今更(いまさら)のようにこんなことを反省(はんせい)するのも、実(じつ)は二十世紀(にじゅうせいき)がまさしく「機械(きかい)の世紀(せいき)」であり、二十一世紀(にじゅういちせいき)は更(さら)に「機械万能(きかいばんのう)の世紀(せいき)」になることが確実(かくじつ)だからだ。そして機事(きこと)はいよいよ増(ふ)え、それとともに機心(きこころ)がますます増大(ぞうだい)してゆくことを憂(うれ)える故(ゆえ)である。複写機(ふくしゃき)は大切(たいせつ)な文章(ぶんしょう)を書(か)き写(うつ)すという作業(さぎょう)を無用(むよう)なものにしてしまった。コンピュ(こんぴゅ)ータ(た)ーは記憶(きおく)の容量(ようりょう)を一挙(いっきょ)に拡大(かくだい)し、それを一枚(いちまい)のフロッピ(ふろっぴ)ーに簡単(かんたん)に保存(ほぞん)してくれるようになった。それは確(たし)かに偉大(いだい)な技術(ぎじゅつ)の進歩(しんぽ)である。

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