だが、人間の本質とは記憶で成り立っているのだ。人生とは記憶の集積なのである。そのように貴重な記憶のすべてを機械に譲り渡してしまったなら、人間にいったい何が残るだろうか。記憶など必要としない人々の群れ、それは歴史を失った人間であり、ただ現在だけを条件反射的に、あるいは要領よく生きる人たちと言っていい。二十世紀のおそろしさ、そして、二十一世紀の何よりの不気昧さは、そのような「ポスト.モダン」人を着々と生み出していることにあると私は思う。
だが、人間の本質とは記憶で成り立っているのだ。人生とは記憶の集積なのである。そのように貴重な記憶のすべてを機械に譲り渡してしまったなら、人間にいったい何が残るだろうか。記憶など必要としない人々の群れ、それは歴史を失った人間であり、ただ現在だけを条件反射的に、あるいは要領よく生きる人たちと言っていい。二十世紀のおそろしさ、そして、二十一世紀の何よりの不気昧さは、そのような「ポスト.モダン」人を着々と生み出していることにあると私は思う。