こうして、それからいくらも経たないうちにアイは、山からやって来た行商[1] の婆さんに連れられて、まだ見たこともない人のところへ嫁入りすることになったのです。
いよいよアイが村を離れる前の晩に、母親は古い鍋を一つ出して来てこう言いました。
「いいかい、アイ、これがお前のたった一つの嫁入り道具だよ。汚い鍋だけれど、これ一つがお前を幸せにするからね」
アイは、ぽかんと母親を見詰めました[2] 。母親はそのアイの耳に口を寄せて、鍋の蓋[3] をそっと開けました。
「これから母さんの言う事をようく覚えておくんだよ。これは不思議な鍋でね、この中に山の木の葉を二、三枚入れて蓋をして、ちょっと揺すって又蓋を開けると、木の葉はすばらしい焼き魚になるんだよ。そこに柚子[4] でも絞って食べてごらん。そりゃもう、とびきりの御馳走だから」
アイは目を丸くして、そんな不思議な品物が、一体どうして自分の家に合ったんだろうかと考えました。すると母親はアイを両手で抱き寄せてささやきました。
「この鍋には母さんの祈りがこもって[5] いるんだよ。お前が幸せになるように、母さんは百日、海の神様にお願いして、この鍋をもらったんだから。だけどね、このことをようく覚えておおき。あんまりやたらにこの鍋を使ってはいけないよ。なぜって、この鍋には入れられた木の葉[6] が焼き魚に変わる時に、海ではちょうど同じ数の魚がお前のために死んでくれるんだからね。その事を考えて、この鍋は嫁入りをした最初の晩と、それから本当に大事な時にだけ、使うんだよ」
アイは頷きました。母親は鍋をていねいに風呂敷[7] に包んで、アイに手渡しました。
こうして、鍋を一つ抱えただけの海の娘は、お姑[8] さんの後について旅立った[9] のです。
[1]行商◎【ぎょうしょう】【名】【他动·三类】
行商。(··を構えず、商品を持って売り歩くこと。また、その人。)
△野菜を行商する。/做蔬菜生意。
[2]見詰める◎③【みつめる】【他动·二类】
凝视,注视,盯看。
△相手の顔を見詰める。/凝视对方的面孔。
△あなのあくほど見詰める。/死死地盯住看。
△政局を見詰める/注视政局凝视。
[3]蓋◎【ふた】【名】
盖儿,盖子(はこなどの入れもの···口や穴に、上からあてておおいふさぐもの)。
△さざえの蓋。/蝾螺盖儿。
△瓶の蓋。/瓶子盖儿。
△蓋の付いた鍋。/带盖子的锅。
△蓋がしてある。/盖着盖儿。
△臭いものに蓋をする。/掩盖坏事。
△蓋をとる。/揭(开)盖儿。
△板で蓋をする。/用木板盖上, 盖上木板。
[4]柚子①【ゆず】【名】
日本柚子。柑橘类水果。外观类似···子,但外表不光滑,味酸,皮有很浓的柚子味道。所以几乎没有人当做水果来直接吃,而是利用它的酸味和香味来做醋的调味料。(ミカン科の常緑低木。また、その果実。枝にとげがあり、葉は長卵形で、柄に翼がある。初夏、白い5弁花が咲き、黄色い扁球形の実を結ぶ。果皮は香気があり、調味料として用いる。中国の原産。)
[5]籠る②【こもる】【自动·一类】
(1)闭门不出,幽闭,···。人呆在屋里不出来。(人が中に入ったまま出ないでいる。)
(2)充满气体等。(気体···どが一杯に満ちる。)
(3)包含,蕴含。里面含有某种力量或情感···。〔力、気持ちなどが内に含まれている。〕
(4)闭关。闭居在神社,寺院里···行或祈祷。(社寺に泊まりこんで勤行や祈願をする。参籠する。)
(5)闷在里面。深入其···外界不易察觉的状态。(内深く入って外から察知ににくい状態になる。)
△陰に籠る。/闷在里面。
[6]木の葉①【このは】【名】
树叶。(樹木の葉。落葉を指す···とがある。)
△木の葉が散る···/树叶散落。
△木の葉隠れに···/隐藏在树叶背后。
[7]風呂敷◎【ふろしき】【名】
包袱(物を包むのに用いる正···形の布)。
△風呂敷を解く/···开包袱。
△風呂敷で菓子折を···む/用包袱皮包点心盒。
△風···敷包み/包袱皮。
[8]姑◎【しゅうと】【名】
婆婆,岳母。(夫の母。妻の···。)
[9]旅立つ③【たびだつ】【自动·一类】
(1)出发,起身,起〔启〕程。(旅に出発する。)
(2)赴。与世长辞。逝世。死亡。((比喩的に)死ぬ。)
△あの世に旅立つ。/起程到另一个世界去。
△冥土に旅立つ。/赴黄泉。